ものごとに制限を加えると表現形は豊かになることがある
本ブログ記事一発目は「制限」と「自由」のトレードオフについてです
この思想は私が私淑して止まない「線さん」の思想を受け継いでいます
彼女のことはあまり記しても彼女に迷惑なので名前だけ挙げさせていただきます
さて読者の方は戸惑ったのではないでしょうか
果たして「制限」を加えることによってその成果物は「豊か」になり得るのだろうかと
私流の答えとしては「Yes」だと思っています
そもそも「自由」とは何か考察してみると「何も制限の加わっていない 剥き身のままであること」だと考えることもできます
「自由」は何にも要請されません 自由ですから
だから「自由」はなんでもありで 秩序のない状態だと言うことができます
そこに「制限」を加えると「自由」は「自由」でなくなります
代わりに「制限」由来の形を持つことができ 「自由」は結果として「豊か」なものになるのです
代数構造「マグマ」を手に取って
代数に詳しくない方に「マグマ」を説明すると
集合Sに演算・を備えた(S,・)であって
演算・に関して閉じているもの
と説明できます
これが何を意味しているかというと「マグマ」には演算・以外の要請がなく 結合律 可換律 単位元律の一切を要請していないいわば「剥き身の代数構造」と言い表すことができるでしょう
演算・で閉じていればいいので演算結果のいく先を指定してやるだけでマグマの完成です 有限集合でなら簡単に作ることができるでしょう
マグマは何が嬉しいのか〜代数構造の出発点〜
基本的にマグマができることはほとんど何もありません 代数構造としてマグマが集合に作用する(集合へのマグマ作用)こともできますが ほとんど嬉しい結果は起こりません
ではなぜマグマを考えるのか?その答えは「代数構造を作り出す出発点になるから」だと思っています
(おそらく)定義を説明するまでもない「semigroup(半群)」「モノイド」なんかの出発点になるのが マグマだからです
マグマが定義された初出の文献は調べたところによるとおそらくブルバキです
ブルバキの著作を読んでいないのでコメントはしづらいですが おそらく彼らは「代数構造の台となる無垢な構造」を欲したのだと思います
「集合」にはそもそも演算の構造がないし「位相空間」のその構造は演算では果たしてない
そうなると「二項演算だけを備えた集合」が欲しくなるのは自然の道理だと私は考えます
そこで生まれた「マグマ」 この「自由」な構造に「制限(公理)」を加えるとマグマはいろんな代数構造に進化していきます
例えば「結合律(結合の順序に依らず左から順に演算をしていける)」を課せばそれはHaskellでもお馴染みの「半群」になるし
「半群」に「単位元律(他の元に演算を施しても演算結果が変わらない ちなみに一意)」を課せばそれは圏論でもHaskellでもお馴染みの「モノイド」になる
こういったように「制限」を加えることで表現力がどんどんと上がっていくのです
自由の代償〜痒いところに手が届かない〜
「自由」のメタファーとして「マグマ」を取り上げましたが 「自由であること」の何が美味しくないかというと「自由であるが故に形作られた結果を残すことができにくい」からです
数学から離れて思考そのものの自由と制限を取りあげてみましょう
例えば塗り絵と自由なお絵描きではどうでしょうか
やり易いのは前者だと思います
後者では何を書くのかを自分で決めなければならない点で「自由」です
それに比べて塗り絵は「すでに色を塗る枠組み」を提供されているので「制限」が加わっています
表現の豊かさでいえば「自由に作品を作ることができる」点で後者の方が豊かに思えるかもしれません
ですが塗り絵は「自分で色を決められる」「枠の中に思い思いの色を塗れる」と言う点で「豊かさ」が加わっています
塗り加減一つで同じ色セットを使った塗り絵でも表現形はまちまちになるはずですし そう言う意味で塗り絵の方が「豊か」な結果を実らせることが多い と私は考えます
社会的な自由と制限〜視点を変えるために必要な三つのこと〜
ここで舞台を「社会」に移していきます
社会の構成員はもちろん「人間」です
自由な人間とは社会では羨ましがられるものです
ですが本当に「自由」な人はいるでしょうか?
この記事において「自由人」を定義するならば
社会のありとあらゆる事象において自由で なんら制限を持たない自然人である
となりそうですが そんな人間はいませんよね
とりもなおさず 我々人間は「皆制限を受けている」のです
曰く「校友との関係」「親との関係」「上司部下の関係」など枚挙にいとまがありません
ではそんな我々人間は「豊か」と言えるでしょうか?
これに関しては首肯できる人もそうでない人もいるでしょう
特に私のように人間関係で疲弊している人にとっては首肯しかねるものかも知れません
制限の種類〜自分を「縛る」関係とは〜
数学では矛盾は許されません しかし社会や人間関係は複雑なもので その内部に「矛盾」をはらむことを許している面があります
曰く「不倫は犯罪なのにそれをコンテンツにした物語は広く視聴されている」「片や反対意見なのに形を変えた同じ主張には賛成意見」などなど
そういった「矛盾」が 豊かたる人間を苦しめているものだと今の私は考えてやみません
制限の中にも「矛盾しあう制限」と「独立している制限」があると思っています
制限を導入するにも前者は排除すべき制限だと 私は考えます
自分の人間関係を見直してみて 矛盾する要素がないかどうか考えてみるのは人生の質を上げる一助になると思います
最低限の関係〜最も「自由」に近い関係性〜
ではそうしてバッサリと関係を切っていって自分に都合の良い関係だけを構築したとしましょう
そうした関係は「最低限の関係」になっているはずです
矛盾し合わず互いに独立で 邪魔するものがないけれど一応制限は受けている
そのような状態は最も自由に近い制限を受けている状態と言えそうです
先ほど私は「自由は自由であるが故に形作られた結果を残すことができにくい」と述べました
人間関係でもそうで ここでは多少の制限はあれど このような人間関係もまた自力での徒歩を強いられ かなり生きにくい人生になってしまうと思います
自力で制限を設けられる 強い人なら話は別かもしれません
ですが 我々が皆 そう強い人間であるわけでもないのです
最良の関係〜過去の自分から算出される最良の関係とは〜
ではどうすればいいのか 考えられる最良の結論は「過去から算出した今の自分を形成するのに必要な関係」だと私は考えます
今までの自分を形作ってきたもの それを維持しつつ これからの目標を立てて逆算し 必要なものを取り入れる
ありきたりな結論ではありますが 当面はそのような関係を構築していくのがいいのではないでしょうか
結論
「自由」と「制限」は切っても切れない関係にあると思います
自由が過ぎては何もできないし 制限も矛盾してしまえば意味をなさなくなります
大事なのは自分が「どの程度縛られていてどの程度自由なのか」を見定めることだと思います
矛盾した関係があれば最小限にとどめ 最低限しか関係がないのであれば必要な関係を探す
いい人生を歩むために「自由」と「制限」のいいバランスを求めていきたいですね